[対談] BLUE ZOO有限会社
代表 青柳竜門氏 × 播戸竜二
どんなトップアスリートも、
選手生命には終わりが来る。
日本でも引退後の“セカンドキャリア”問題はしばしば話題に上るが、実はスポーツで身に付けたスキルは、ビジネスの世界でも十分に通用するのではないか?
そんな考えを確かめるべく、現在38歳の播戸竜二がこれからの社会を変えるイノベイターたちを直撃。
今回は、福岡市を拠点にタクシー業界に変革をもたらすパンダタクシーの社長、青柳竜門さんに話をうかがった。
人生の生きがいを探して
僕と青柳さんとの出会いは7年ほど前。以来、福岡を訪れるたびに食事を一緒にするものの、シリアスなビジネスの話をするのは初めてだった。
自営業を営む家に生まれ、学生時代は大学までラグビーひと筋。そこから、どうやって自分の夢を見つけたのか?
青柳 実家の家業は、僕が生まれた年に父親が始めました。自宅の1階が会社で、2階が僕たち4人家族と住み込み社員の住居。まさに、職住一体の空間でした。
播戸 将来は、自分がそれを継ぐという意識はあったんですか?
青柳 兄がいたからかもしれませんが、その気持ちは薄かったです。父親には、幼いときから自分で事業を起こせと教え込まれましたから。だから、物心ついたころには当然、自分も社長になるものだと思っていました(笑)。
播戸 起業を決意したのはいつごろですか?
青柳 僕もはっきり覚えていないのですが、30歳という節目はずっと意識していました。その理由が父親の起業した年齢なのか、孔子の『論語』にあった“三十にして立つ”という言葉に感化されたのかはわかりませんが……。
播戸 大学卒業後は、海外放浪の旅に出るわけですよね。それは30才で起業するために世界を知っておこうという気持ちからですか?
青柳 最初はそこまで意識していたわけではなく、大学まで続けてきたラグビーが終わって燃え尽きていたんです。"海外に行った"というと聞こえはいいですけど、実際は現実逃避みたいなものです(笑)。
播戸 一度、人生をリセットしたかった?
青柳 自分のラグビー人生が終わってしまった、という喪失感が大きかったんでしょうね。すぐにそれに代わるものが見つかればいいのでしょうけど、ラグビーと同じくらい情熱を注げるものとなるとそう簡単にはいかない。普通に就職して、それから本当に自分がやりたいことを探すという選択肢もありましたが、僕はあまり海外経験がなかったので、社会に出る前に外の空気を味わってみたかった。だから、最初は起業のために旅に出たわけではないのです。
播戸 帰国は何才のときですか?
青柳 25才です。リミットまであと5年ですよね。当時は日本ではなく海外で起業しようと思っていたのですが、いざ帰ってみると、地元への執着なのか、両親を安心させたいのかはわからないんですけれど、結果的に福岡で創業する道を選びました。ただ、いまだに海外で事業を展開する夢はあきらめていないので、将来的には必ず実現させるつもりです。
播戸 海外放浪は、途中から起業のヒントを探す旅に変化していったのですか?
青柳 そうですね。とにかく自分にはラグビーに代わる、本気で、命がけでやれるものが必要だったんです。それをずっと探していて、起業の候補にしたアイディアもいくつかありました。社員を抱えるビジネスである以上、利益を上げることは大切ですが、僕は金儲けだけだと嫌で、そこにプラスαで社会にしっかり貢献できるものを模索していたのです。それと、やっぱり"いちばん"になりたいという気持ちが強くて、業界のリーディングカンパニーになりたかった。その両方いけると思ったのがタクシーだったんです。