TOPICS

[対談] BLUE ZOO有限会社
代表 青柳竜門氏 × 播戸竜二

2017.10.31 UP

目の前の常識がすべてじゃない

青柳さんは起業前、福岡市内の3つのタクシー会社で乗務員を経験し、創業後の3年間も日中は乗務員として走り、夜は配車予約を乗務員に伝えるため無線士として事務所に寝泊まりしながら眠る間も惜しんで働いたという。
そして、現場を経験したからこそ、見えてきた課題があった。

 

播戸 数多ある福岡のタクシー業界のなかで、後発のタクシー会社が抜きん出るのは難しいと思いますが、勝算はあったんですか?

青柳 競合がたくさんいることはあまり意識していませんでした。単純に、タクシーが提供するサービスがお客様のニーズと合っていないと感じていたんです。にもかかわらず、それ以外の選択肢がないため、ビジネスとして辛うじて成立している。だから、お客様が求めるサービスが提供できたら、一気にトップに駆け上がれると考えたのです。

播戸 具体的に、お客様のニーズというのは?

青柳 福岡のタクシーは、マナーの悪さで全国的にも有名です。だから、親切で、清潔な乗務員が、きれいな空間の車両で、近距離・遠距離関係なく、どのお客様にも同じサービスでしっかり対応することができれば、それが需要に結びつくんじゃないかと。話が上手いとか、あの運転手さんは面白いみたいなことはあまり必要ありません。合理的なルートで、迅速に、安全に、しっかりお客様をお送りすることが大切なんです。

播戸 創業時に、福岡市内のタクシーのマーケットサイズなどの調査していないんですか?

青柳 ざっくりとした台数とか、お客様の数とかは把握していたんですけれど、起業を決めたのは乗ってみた感覚のほうが大きくて、数字では判断していません。いま福岡市内にタクシー会社が105社ぐらいあって、規模・台数でいうとパンダタクシーは10番目ぐらい。ちなみに、“パンダ”というのはいい名前が思い浮かばなくて、家族に相談したところ、母がパンダは可愛いし、もう少しで北京五輪もあるからちょうどいいって、そんな軽い感じで決めてしまいました(笑)。

播戸 創業時の初乗り運賃290円という価格は衝撃的でした。周囲から無謀だと言われませんでしたか?

青柳 そう言われましたけれど、僕には事業として成り立つ自信はありました。予約を中心とした配車システムを整備して、お客様が乗車していない時間を徹底的に減らせば、一般のタクシーと同等以上の収益を上げることができると思ったんです。それには、乗務員の給与体系を見直す必要がありました。タクシー業界は売り上げに応じて給料が決まる歩合給が一般的ですが、それだと遠距離の予約を優先しがちになる。パンダタクシーも最初は歩合給でしたが、乗車料金が安くても、ワンメーター乗車でも、丁寧な接客ができるように徐々に評価方法を変えてみて、最後には完全固定給で、いいサービスを提供して業績が上がるほど賞与が出る仕組みにしたんです。

ビジネスを推進するのは強い意志

日本人は起業するにしても、完璧な準備が必要だと考える。でも海外に出てみると、とにかく前に踏み出す意志の強さが、周囲を巻き込み、社会を動かす力になることを実感した。
創業から10年。青柳さんは目の前に立ちはだかる壁を、どうやって乗り越えてきたのか?

 

播戸 起業後、いちばん苦労したのはどんな点だったのでしょうか?

青柳 全部が難しかったです。常に、新しいことへの挑戦ですから。どの業界も同じだと思いますが、人間ありきなんですよ。事業に不可欠な経営資源を“ヒト・モノ・カネ”と言いますが、実際はほぼ人でしょうね。そこで勝負が決まってしまう。従業員には基本的に愛情をもって接することが重要で、裏切られることもあるかもしれないし、痛い思いをするかもしれない。それでも経営者としては、従業員を信じて、常に感謝や思いやりの気持ちをもつことが大事だと思っています。

播戸 パンダタクシーの成功を確信できたのはいつごろですか?

青柳 創業して3年目くらいです。タクシー台数を79台まで増やして、乗務員数も売り上げも飛躍的に伸びていた時期でした。ただ、急ピッチで拡大を進めても、やっぱり荒削りで、会社の成長スピードに人間が全然ついてきていませんでした。外側は体よく見えても、中身は本当にボロボロだったんです。しかも、創業時のメンバーが次々と去っていったことはショックでしたね。

播戸 そんななか、どうやって仕事へのモチベーションを維持したのですか?

青柳 10歳からラグビーを始めて大学まで12年間続けたのですが、最終的にレギュラーになれなかった。そこで頑張るだけじゃダメで、結果を出すことがなにより大切だと気が付いたんです。能力がほぼ同じ人間がふたりいたら、気持ちの強いほうがやっぱり勝つんですよね。そのときの悔しさが骨の髄まで染み込んでいるので、社会に出てからはそんな思いを絶対にしたくない、という気持ちが自分の原動力になっています。だから、どれだけ会社の規模が大きくなろうと、自分は決して満足することはないでしょうね。ある意味、肚をくくって仕事をしているので、当時は仲間への惜別の思いを振り切って、前を向いて進むしかありませんでした。

播戸 その後、タクシー台数規制の法律の壁にぶち当たりますよね?

青柳 2014年4月に“タクシーの減車を促すタクシー事業適正化・活性化特別措置法”というのが施行され、その時点の79台から増車することが実質、不可能になったんです。タクシーの供給量が過剰になったため、一台あたりの運収が下がり、それに伴い、タクシー乗務員たちの労働環境が劣悪になるのを防ぐというのが狙いだったらしいのですが、自由競争のこの時代に、国が法規制で企業の成長を止めるのはおかしな話ですよね。

播戸 それで、国相手に訴訟を起こしたんですよね?
問題になっていた台数は、まずは放ったらかして料金を一律にしなさいという指導があったんですよ。安過ぎるから高くしろ、と。それで、その枠内じゃないと行政命令で免許を取り消します、となったので、弁護士にお願いしてそれを差し止めてもらいました。結審まで2年ぐらいかかりましたけれど、そのおかげもあり、弊社の料金体系や名前が広く知られるようになりました。普通に考えたら、国を訴えるなんて勝ち目がないように思われるでしょう。でも時間は必ず過ぎ去るので、それを乗り越えたときの自分に出会うのが楽しみというか、期待してしまいます。会社の存続自体を揺るがす事件が起きたとしても、そういうふうに考えると、そんな状況ですら楽しめるようになるんですよ。

播戸 その裁判があったから、日本全国のタクシー運賃が下がったんですよね?

青柳 大きな声では言えませんけど(笑)。

播戸 ビジネスとして軌道に乗ったと感じたのはいつですか?

青柳 正直な話、僕はいまでも軌道に乗ったとは思っていないんです。資金繰りの不安は常にありますし、余裕があるんだったらどんどんそれを他の部分に投資していきたい。借入金はいまもありますし、ある意味、不安材料を自分に与え続けないといけないと思っています。こうなったら、うちの会社は絶対に潰れないみたいなことはないし、そういう意味で不安はずっとつきまとう。だって、会社を起こして10年以内に約95パーセントが潰れるというじゃないですか。だから、頑張るという意識よりも、自分をどれだけ瀬戸際に追い込めるか、というほうに頭を使っていて、それが会社を成長させる近道だとも思っています。

 

 

前のページへ 次のページへ